24年前のホワイトデー
このイラストの男性、父なんですが。
さすがに酷いなと思いましたよこの髪型。
悪意感じる。
悪意なんて無いんですけどね。
似てるんだもん。
父はバレンタインとかホワイトデーとか興味の無い父でした。
「興味無い」と言うか、むしろ「嫌い」
そういう盛り上がりを「何浮かれとんだ」って見てる感じの人です。
昔話になりますが。
小学校に通いだし、いつからだか色気付く女の子も出てきて、バレンタインの季節になると友達間でもチョコレートの話題が出たりもしました。
だから安いチョコだけど、私も弟と父にはチョコレートを渡していたと思います(いつからかは覚えてないけど…)
24年前は私は小学校5年生だったんだけど、この年のバレンタインに父と弟にチョコレートを渡したのか、ちょっと記憶が無いです。
バレンタインの1週間前、母がくも膜下出血で倒れ、1ヶ月ほどは生きるか死ぬかの状況でした。
「もうダメだ」となり、私と弟は小学校を早退したことも二度ありました。
その度に母は持ち直し。
そんな状態だったのでバレンタインデーの記憶は無いんだけど、ホワイトデーの記憶はハッキリとあります。
その年のホワイトデー、私は病院のベッドの上にいました。
胃をやられてしまい、入院していたのです。
母が倒れ、私が入院をし、父にはとんでもない負担をかけてしまいました。
母は脳外科で有名な、自宅から少し遠い病院に入院しており、父は毎日仕事が終わると高速を使い母の元へ通っていました。
私は自宅近くの総合病院に入院していました。
2泊3日だけだったけど、父は毎日来てくれました。
母の病院から帰ってきてからなので夜も遅く、面会時間を無理言って伸ばしてもらい来てくれていました。
「うめこ入院しとるのに、お母ちゃんがお見舞いに来れんでごめんな」と父は言いました。
お母ちゃんが来れんなんて当たり前のことなのに変なこと言うな、と思ったけど、大人になって父が言った意味が分かります。
父は私が思うより優しい父だったし、私は父が思うより物分かりが良かったのかもしれません。
私が入院していることを母には伝えていないと言い、それについても謝られました。
謝るようなことじゃないし、今のお母ちゃんは私が入院してることにも悲しんだりはしないだろし、隠すほどのことかな、と思いました。
でも黙ってました。
母の病室には毎日たくさんのお見舞いが届いていました。
果物からゼリーから伊勢海老まで。
父は私の病室にメロンを一切れ持ってきてくれました。
「お母ちゃんの食べ残しでごめんな」と言いました。
私一人分だし、一切れでじゅうぶんなのに。
入院をして2日目がホワイトデーでした。
次の日には退院して良いと言われていて、私はお婆さんたちとの大部屋が少し怖くて眠れていなかったので喜びました。
この日も夜遅くに父が来てくれました。
スーツを着たままの父が、バッグの中から可愛い包みを取り出して私にくれました。
ホワイトデーのクッキーでした。
父がこんなものを買ってきたということにとても驚きました。
そもそもお菓子自体、あまり買ってもらえない家でした。
今では買ってもらいまくってるけど、子供の頃は本当に厳しくて、お菓子もオモチャも滅多に買ってもらえませんでした。
ましてやバレンタインデーやらホワイトデーやらイベント事が嫌いな父。
もちろん嬉しかったけど、「嬉しい」という気持ちより「驚き」のほうが勝ちました。
父は厳しい父で、怒鳴るし手もあげるし、子供にとっては怖い人だったけど、私の入院中に父は何度も「ごめんな」と言いました。
それが子供ながらに複雑な気持ちになったことを覚えています。
父は厳しさでは少し行きすぎなところもあった人だけど、私はホワイトデーにお菓子をくれる父より、「ホワイトデーなんか知らん」という父のほうが好きなんだと思いました。
父からホワイトデーを貰ったのは、それが最初で最後。
私の想いが通じたのか何なのか、その後は今年に至るまで一切父からホワイトデーは貰えていません。
私はしつこく毎年あげてるんだけど。
でもこれでいいんです。
今年初めてホワイトデーのお菓子をくれた弟からは、ぜひ来年も頂きたいです。
引き続きよろしくと言いたいです。